街はすでにクリスマス色に染まってきました。
夜になるとあちこちできれいなイルミネーションが見られます。
そしてレストランやパーティー会場では
キャンドルライトが灯されます。
ところで、みなさんは
蛍光灯の光と、キャンドルの光。
どちらが温かくて美しいですか?
皆さん、キャンドルと答えます。
「どうして、キャンドルの光を私たちは、
温かい美しいと感じるのでしょう?」
沈黙が流れます。
キャンドルの光は闇と共存しているからです。
蛍光灯の光は闇をかき消してしまいます。
それに対して、キャンドルの光は闇と共存しています。
キャンドルがどんなに増えようと、
その光は闇をかき消すことはない。
光と闇が共存している世界。
それを私たちは、温かい美しいと感じるのです。
人間の心も同じではないでしょうか
自分の中の闇を否定してはいけません。
自分が嫌いな闇も自分の一部なのです。
それを認めてあげてください。
闇の部分、短所を好きになることはできません。
勘違いしないでほしいのは、
相手の短所を好きになれ、といっているのではありません。
好きになるのと、存在を認めるのとでは、
まったく違います。
「この人には、こういう一面もあるんだ。
そして、こういう一面があるからこそ、
この人はこの人なんだ」
相手の長所ばかりを見て神格化してしまうのではなく、
相手の短所ばかりを挙げて嫌うのでもない。
長所短所、両方あるからこそ、この人なのだ。
と認めてあげることです。
そうすれば、あなたは、
ありのままの自分に出会うことができるでしょう。
出典:矢野惣一著
頑張らないで 幸せになる 無意識の使い方
第191号(12月10日)より
明治大学教授の齋藤孝先生が、
オリンピック金メダリストの吉田秀彦選手(現格闘家)に
インタビューしたときのことを本で読みました。
柔道のオリンピック金メダリスト吉田選手は、
すごい体をしていますし、
柔道の技も毎日、一所懸命に磨いています。
明治大学教授の齋藤孝先生から
「(試合に勝つために)心と技と体、どれが一番大切ですか?」
と聞かれて、吉田選手が一番大切だと答えたのは、「心」でした。
吉田選手には忘れられない思い出があります。
1992年のバルセローナ・オリンピックのときのこと。
先輩の古賀稔彦選手と相部屋になり、階級は違うのですが、
いっしょに練習をするようになったのです。
古賀稔彦選手は、「平成の三四郎」と呼ばれるほど、
芸術的な一本背負いをする柔道家です。
ところが、練習中に体の大きい吉田選手は先輩の古賀選手の
膝を骨折させる大ケガを負わせてしまったのです。
オリンピック本番を10日後に控えて、
大ケガをした古賀選手はショックですが、
それに関わった吉田選手も大ショック。
これまでオリンピックで金メダルをとるために
猛練習をしてきた選手が、
その大会前に大けがをしてしまったのです。
左足側副靭帯損傷という普通に歩くのに一ヶ月、
柔道をやるには一年かかると言われた大けがです。
その無念さはいかに・・・
しかし、
古賀選手は吉田選手と二人きりになると、
意外なことを言いました。
「秀彦、オレはこれで、なんか金メダルが取れる気がするよ」
古賀選手の言っていることは、
無茶苦茶、道理にかなっていません。
でも、マジです。
彼は真顔でこう説明しました。
「いままでは、たぶん金メダルを取れるとは思っていたけれど、
どうも絶対的な自信がなかったんだ。
だけど、これでなんか確信ができたよ」
吉田選手は、
この人はなんてすごい人かと思ったそうです。
さらに古賀選手は言いました。
「秀彦、だから、お前もがんばれよ」
古賀選手には、信念があったのしょう。。
「こういうピンチのときにこそ、
勝たなければならない。
それが真の武道家だ。」
それが、大会前に膝にケガをするという絶体絶命のピンチにあい、
その武道家としての闘志が燃え上がったのです。
その結果はどうだったか・・・
まず吉田選手ですが、
先輩の古賀選手にも勇気づけられ、
見事、金メダルを取りました。
翌日は、いよいよ古賀選手の試合。
古賀選手は片足を引きずりながら、戦いました。
それでも、ひとり、またひとり倒していったのです。
決勝戦は、判定にもつれこみました。
が、古賀選手の勝ちを示す旗が上がった瞬間、
古賀選手は、両手を広げ、
泣くような顔で雄叫びをあげたのです。
「ウオッーーーーーーーーーーーー!」って。
この場面は日本中に感動を与えたものです。
吉田選手も嬉しくて嬉しくて涙があふれ出ました。
このとき、古賀選手も初めて金メダルを獲得できたのです。
もしも、古賀選手がケガをしたとき、
「オレはもうダメだ」と弱気になっていたら、
吉田選手も気落ちして負けていたかもしれません。
ケガをしても、そういうピンチのときだからこそ、闘う。
そして、勝つ!という古賀選手の気迫が
吉田選手を勇気づけました。
そして、自分自身の運命も切り開いていったのです。
※作家 中井俊已発行メルマガ
「心の糧・きっとよくなる!いい言葉」より
古賀稔彦公式ホームページ
若者が人生を歩むとき、
その道の両側には幾多の誘惑が
長い行列をつくって待ち受けている。
彼はその中を押し分けて進むが、
誘惑に負けたら最後、
堕落は必死である。
若者の肉体は天賦の力で満ちているけれど
ひとたび誘惑にふれると、その力は失われる。
誘惑を拒絶するただ一つの方法は、
きっぱり「いやだ」と意思表示し、
その言葉通りにふるまうことだ。
誘惑にいい寄られたら
その場で決断すべきである。
あれこれの理由をハカリにかけて
「どちらを選んだらいいか」
などどウジウジ迷っていてはダメだ。
誘惑が訪れるのは、
若者の力を試すためだ。
一度でも誘惑に屈すると、
若者の力はどんどん弱まり、
大切な美徳も次々と奪われる。
だから誘惑は断固として拒絶すべきだ。
決断の第一歩が踏み出せれば、
人生を生きぬく大きな力が湧いてくる。
この決断は、何度も繰り返すうちに、
習慣となって必ず身につくだろう。
人生の若い時期に得た習慣は、
悪に対する真の防波堤となる。
なぜなら、
人間が品行方正になるのは
習慣を通じてであり、
モラルが損なわれないよう
守ってくれるのもまた習慣の力なのだ。
よい習慣が日常生活のすみずみにまで行き渡れば、
その人間のふるまいは一段と立派なものに
変わっていくにちがいない。
※スマイルズ著「自助論」より
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この本・・・
もっと若い時に読んでおきたかった・・・
振り返ってみれば
誘惑になびいてきた人生でした・・・(猛反省)
先日、家族と一緒に
「オールウェイズ3丁目の夕陽」を見てきました。
とってもいい映画でした。
映画の中で、子供が生活費を節約するために
給食を我慢して食べないで、
先生には「朝と夜にお腹いっぱい食べてるから」
という台詞を言うシーンがありました。
切ないシーンですが、
思いやりに溢れたとってもいいシーンでもありました。
実は似たようなお話しが実際にあるのです。
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ワタミフード社長、渡邉美樹さんの著書
「きみはなぜ働くか」のなかの
「はじめに」に出てくる1つのエピソードをご紹介します。
渡邉さんが理事長を務められている
NPO法人が建てたカンボジアの学校
(現在100校くらい)で
給食を始めたときの話です。
カンボジアの田舎の貧しい村ですから、
三日に一食しか食べられない子どももいます。
学校で給食が始まると、
早朝から待ちきれずに、
お腹をすかせた子どもたちが
食器をもって集まってきます。
朝、七時。
ごはんが炊き上がり、
「いただきます」と給食が始り、
みんなおしいそうに食べ出しました。
でも、一人だけ食べない子がいました。
その子はビニール袋(!)に
自分の給食を入れたのです。
しかも、給食が終わろうとした時、
何事もないかのように、
まわりの友達が自分の分を三分の一ほど残し、
その子のビニール袋に給食を入れて分けてあげました。
実は、その子の家には、
お腹をすかせた小さな弟や妹がいるのだそうです。
みんなはそれを知っていたのでしょう。
その子は、給食が終わると、
ビニール袋を抱いて、
飛ぶように走って学校を後にしました。
渡邉さんは言います。
「本当の豊かさって何だろう」
「本当の幸せって何だろう」
「カンボジアの子どもたちは教えてくれました。
モノは奪い合えば足りず、
分け合えば足りるのです。
自分だけの幸せなんてないんだ。
幸せは、人のそれと重ねるものなんだ」
私たちは、自分のことだけ考えていては
本当に豊かにも、幸せにもなれません。
貧しくとも、心が豊かな人は、
子どもでさえ人のことを考えてあげています。
そして、自分の分まで分け与えて、
いっしょに幸せになろうとします。
そんな思いやりを、優しさを、
私たちは、きっと、みんな、
もっているのです。
出典:渡邉美樹著『きみはなぜ働くか。』(日本経済新聞社)