中国の大学のトイレ掃除の後、
学生さんと先生を対象に講演させていただきました。
その後の質疑応答で、生徒から質問がありました。
そのなかの一つ、
立派な体格をした学生からの質問は
「私は大きなことをやるために大学へ来て勉強しています。
掃除のような誰にも顧みられない小さなことにこだわっていては、
大きなことができないのではないでしょうか」というものでした。
そこで私はその学生に、
「あなたは、大勢の人が見ている前で、
道に落ちている一本のタバコの吸殻を拾うことができますか」と尋ねたところ、
「拾えません」「恥ずかしいから、とてもできません」という返事でした。
「私は、毎朝、大勢の目の前で、ゴミ拾いをやっています。
なんとなく気恥ずかしいのはわかります。
その人たちの足元に落ちている吸殻を拾うには、相当抵抗があります。
しかし、人間というのは、そうした抵抗を超えていくことで心が鍛えられ、
より成長できるものだと思います。
ですから、吸殻を一日に少しずつでも拾って歩けば、
そのたびに大きな勇気が得られることになります。
私は、この吸殻や空き缶などをただ拾うことだけが目的ではなく、
日本をゴミ一つない国にしたいと思っています。
これを小さなことだと思いますか?」と尋ねました。
学生は即座に「大きいことだと思います」と明快にいってくれました。
「そうでしょう。やっている行為は小さく見えても、実は大きな意味があるんです」
とお話ししました。
小さなことでも、それを実行するには大きな勇気が要ります。
ですから、道に落ちているゴミも、
日々自分を鍛えてくれる大事な条件だと考えることもできるのです。
※『掃除道』(鍵山秀三郎著)より
魂を磨く
醍醐千里氏の心に響く言葉より…
この世でたった一人の大切なあなたへ
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『魂の約束』
私たちは生まれるとき、神様から魂をいただきました。
みんなその魂を、自分の真ん中においています。
魂は磨けば磨くほど光ります。
漢字の練習を一生懸命しました。
魂は昨日より光ります。
電車でおじいさんに席をゆずりました。
魂は昨日より光ります。
弟におやつをあげました。
魂は昨日より光ります。
今日はごめんねが言えました。
魂は昨日より光ります。
あの人にありがとうが言えました。
魂は昨日より光ります。
努力をすることや、誰かや何かに優しくすることは、魂を磨きます。
けれど 、努力をすることや、優しくすることだけではなく、
楽しいこと、うれしいことも、 魂を光らせることが分かりました。
友だちと楽しく大笑い。
魂は昨日より光ります。
誕生日のプレゼント。
魂は昨日より光ります。
楽しいことやうれしいことも魂を磨くと知って、 私はなんだかホッとしました。
ある日、そうじをさぼって友だちと遊びました。
友だちと楽しく大笑い。
けれどその日、自分の中の魂を見て驚きました。
あんなに楽しく笑ったあとだったのに、 魂は、光るどころかくもっているのです。
ある日、友だちからネックレスをもらいました。
お店から盗ってきたネックレスだと言います。
ほしかったものなので、 よく考えもせずにそれを受け取りました。
その夜、魂を見てみたら、その日もまた魂は、 昨日よりくもっていました。
ある日、一人が言いました。
「ねぇ、あの子、気に入らないよね?」
あっという間に、その子はひとりぼっちになりました。
私は、その子をひとりぼっちにさせる側にいました。
その輪の中で私には、急に仲間が増えました。
新しくできた仲間とともに、 おもしろおかしく過ごしました。
そんな日々を送る中、 私は久し振りに、自分の中の魂を見てみました。
私の魂は真っ黒になっていました。
私は、自分の魂の色を見て、 とてもおそろしくなりました。
楽しいこと、うれしいことの中にも、 魂をくもらせること、 魂を濁らせることもあると分かりました。
楽しいこと、うれしいことには、 2種類あると分かったので、
これからは、 気をつけていかなければならないと思いました。
毎日魂を磨き、 毎日魂の様子を見ているうちに、 私は不思議なことに気がつきました。
磨いたつもりのない日でも、 魂の輝きが、増しているときがあるのです。
そういう日の一日を振り返ってみると、 その日は、きれいな花を見たり、
美しい夕焼けを見たり、 そういう日だったことが分かってきました。
映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり。
そういうことでも魂を、磨くことができるのです。
楽しいことやうれしいこと、 目にした景色や、聞こえてくるメロディ、あたたかな言葉。
その日その日のなんでもないことも、 私の魂を磨き続けてくれたのです。
できるだけ魂を光らせようと、毎日を送っていましたが、
ある日、私は少しだけ疲れてしまいました。
夢の中で私は、神様に会いました。
夢の中で私は、神様に聞いてみました。
神様、私はいつまで魂を磨けばいいのですか。
私の魂は、いつ完璧に美しくなるのですか。
神様は言いました。
あなたは、あなたの最後のひと呼吸まで、 魂を磨き続けなさい。
みんなその約束をして、地上に生まれているのですよ。
でも、神様、磨き終わらないうちに、 最後のひと呼吸がきたら、 どうすればよいのですか。
心配しなくて大丈夫。
あなたの魂は、最後のひと呼吸のとき、 必ず、最高の光を放ちます。
神様、私にはその自信がないのです。
あなたは、毎日魂を磨いています。
だから大丈夫。
最後のひと呼吸のとき、 魂はそれまでで一番美しい姿を見せてくれます。
何も心配いりませんよ。
あなたの魂は毎日、昨日より輝きを増しているのです。
ときどき、自分の魂を、離れたところから見てごらんなさい。
あなたの魂があなたの体を越えて、 まわりに光を与えていることにも、 気づくことができるでしょう。
このごろでは、あなたの魂の輝きで、 道を明るくする人も増えてきました。
さぁ、戻って、魂を磨いてきなさい。
毎日を楽しくうれしく感謝の気持ちで送るのですよ。
そうするとあなたの魂は、キラキラと光を強くしていきます。
あなたがここに来るのは、まだまだずっとずっと先。
あなたの人生を、楽しんでいらっしゃい。
あなたがどんなに素晴らしい魂を持って、ここに帰ってくるか、
私はそれを楽しみにしています。
目が覚めた私は、 それまで気づかなかったことに気づきました。
昨日より今日。
今日より明日。
私の魂は輝きを増し続け、毎日新しく生まれ変わります。
そして必ず、その日の魂が1番光る魂。
少しの努力、優しい気持ち、そして うれしいこと、楽しいこと。
日々の中に散りばめられた美しいもの。
神様との約束を思い出したので、 私は、なんにも心配しないで、
毎日を送っていくことができそうです。
なんにも心配しなくても、 私の魂は、昨日より光ります。
光り続けます。
※出典:メルマガ【人の心に灯をともす】より
『魂の約束』サンマーク出版
醍醐千里さんは、二人の子どもを持つ中学校の教員。
新米教師の頃は、生徒との関係も、授業もうまく行かず、
朝起きるのも、教室のドアを開けるのもつらくなってしまったという。
29歳で二人の子の母となり、二度の育児休暇中に母親業に徹することで、
教員の在りかたに親としての視点が持てるようになり、
その結果学校での姿勢も少しずつ変わっていった。
その頃から、奇跡が訪れるようになった。
行事やクラスのトラブルに、大どんでん返しのミラクルが起こりうまくいくようになった。
教員だった両親が教えてくれた言葉、「正しいと思うことを貫く姿勢」「自分の心を磨くこと」、
この二つを胸に、がむしゃらに突き進んだ。
(以上、「魂の約束」より抜粋)
そんなときに、「クラスの子どもたちが卒業するまでにもう時間がない。
離れてしまう前に、今まで伝えてきたすべてのことを1つの詩にしよう」と
廊下のベンチに座って書いた詩がこれだ。
「魂は磨けば磨くほど光る」
一生涯かけて、自分の魂を磨き続けたい。
ある寒い1月の朝、
一人の男がワシントンD.C.の駅で座りながらバイオリンを弾き始めました。
彼はバッハの曲を1時間程演奏しました。
その時間帯は通勤ラッシュだったため、
約1100人がその男の前を通りました。
3分後、ある中年の男はバイオリンを弾いている人がいると気づき、足を止めました。
しかし、結局止まったのはほんの僅かな時間で、数秒後にはその場を離れました。
1分後、バイオリニストはやっとお金を稼ぐことができました。
ある女性がケースに1ドル札を投げ入れましたが、
彼女は止まることなく歩き続けました。
少しした後、壁に寄りかかって彼の音楽を聴く者が現れましたが、
腕時計を見るとすぐに歩き始めました。
会社に遅刻しそうだったのです。
一番彼の音楽が気になったのは、3歳の男の子でした。
彼のお母さんは急いでいて、男の子の腕を強く引っ張りました。
それでも男の子はバイオリニストを聞こうと足を止めます。
お母さんは男の子の背中を強く押し、無理やり歩かせました。
それでも男の子はずっと後ろのバイオリニストを見ながら去って行きました。
他の子供も同様でしたが、親は全員例外なく止まることなくその場を去りました。
彼が演奏した一時間内で、足を止めて彼のバイオリンを聞いたのはたった6人でした。
お金を入れてくれたのは20人程でしたが、止まった人は誰もいませんでした。
稼いだお金はたったの32ドル。
彼が演奏をやめ、駅が沈黙に包まれた時、気付いた人は誰一人いません。
拍手はなく、このバイオリニストを認める人はいなかったのです。
バイオリニストの名前はジョシュア・ベル。
彼は世界で最も才能のあるミュージシャンの一人です。
彼はたった今、歴史に残る傑作を演奏したのです。
それも3億円のバイオリンを使って。
彼の駅での演奏の二日前、彼のボストンでのコンサートのチケットは、
一枚一万円するものの全て売り切れました。
これは実際にあった話です。
ジョシュア・ベルが素性を明かさず行ったこの演奏は、
人々の視覚・嗜好・優先順位を研究するための実験として
ワシントン・ポスト紙によって行われました。
私たちは本当に「美しさ」を理解しているのだろうか?
それをちゃんと足を止めて味わっているのだろうか?
予想していない状況でも、才能を感じ取ることはできるのだろうか?
一つ結論として言えるのは、
もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、
歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、
私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているのではないか?
「おかげさま」と「身から出たサビ」
山中伸弥(ノーベル医学・生理学賞受賞者)
この頃(中学生)、特に忘れられない思い出があります。
教育大学の学生さんが教育実習に来た時のことです。
彼は柔道三段という腕前でした。
その人と練習で組み合うと、いとも簡単に投げられる。
受け身を取って一本にされるのは悔しいので、
私はちゃんと受け身を取らずに最後まで粘り、
変な手の付き方をしてしまった。
そのために、腕がボキッと折れてしまったのです。
実習の先生としてみれば、大変なことです。
部活動をしている最中に、生徒の腕を自分のせいで
折ってしまったのですから。
その日の夜、慌てたように先生から電話がありました。
電話を取ったのは母ですが、そばで聞いていると、
先生は受話器の向こう側で平謝りをしている様子でした。
しかし母はその時、こう答えたのです。
「いやいや先生、気にしないでください。
うちの息子の転び方が悪かったんだと思います。
怪我したのはうちの息子のせいです。
明日からも気にせず、いろんな子を投げ飛ばしてください」
その時の態度は、わが親ながら立派だと感じたものです。
母親からはあまり教えられたことはありませんが、
その出来事以来、私はいつも次のことを心掛けるようにしています。
何か悪いことが起こった時は「身から出たサビ」。
つまり自分のせいだと考える。
先生に投げられた時、自分がちゃんと受け身さえしておけば
怪我をしなかった。
そのために三か月ほど柔道ができなくなりましたが、
それも身から出たサビなのだと。
逆に、いいことが起こった時は「おかげさま」と思う。
確かに、自分が努力をしたためにうまくいくことはありますが、
実はその割合は少なくて、周りの人の助けがあって
初めて物事はうまくいくものなのだと思います。
※出典:『夢を実現する発想法』(致知出版社)より
演劇「泥かぶら」をご存じでしょうか。
昭和27年の初演以来、
国内外で7000回以上も上演されている名作。
心洗われる美しい劇です。
今日は、そのストーリーをご紹介します。
少し長いので時間のあるときに
ゆっくり読んでください。
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昔、ある村に顔の醜い少女がいました。
孤児で、家もなく、
森の落葉の中にもぐり、橋の下に寝る。
色は真黒、髪はボウボウ。
着物はボロボロ、身体は泥だらけ。
少女は、その醜さゆえに、
「泥かぶら」と呼ばれていました。
子どもからは石を投げられ、
唾を吐きかけられ、
泥かぶらの心はますます荒み、
その顔はますます醜くなっていくばかりです。
「あたしはこれからどうしたらいいの…」
夕日を見ながら、悲しくなり考え込むのです。
ある日のことです。
泥かぶらがいつものように荒れ狂い、
「美しくなりたい!」と叫んでいるところへ
旅の老法師が通りかかりました。
「これこれ、泥かぶらよ。
そんなにきれいになりたいと泣くのなら、
その方法を教えてしんぜよう。」
「3つある。
まず1つは、自分の醜さを恥じないこと。
2つ目は、いつもにっこりと笑っていなさい。
そして3つ目は、人の身になって思うことじゃ」
泥かぶらは、激しく心を動かされます。
というのも、それらは、今までの自分と
まったく正反対の生き方だったからです。
「この3つを守れば村一番の美人になれる」
法師の言葉を信じた泥かぶらは、
その通りの生き方をしはじめます。
しかし、急に態度の変わった泥かぶら見て、
村人は不審に思うばかりか、
嘲笑し、中傷するのです。
ある時、事件が起こります。
事の発端は、村一番の美人で
一番お金持ちの庄屋の子、こずえでした。
彼女がどうしたことか、
「助けて」と叫んで、
泥かぶらのところに走って来たのです。
こずえは、日頃から泥かぶらを
嫌っていじめていた者の一人です。
何かわけがあるに違いありません。
果たして、こずえの後ろから、
父親の庄屋が鞭を持ってやって来ました。
庄屋は、命よりも大切にしていた
茶器を割られたことで、
怒り心頭に達していました。
「泥かぶらが、割ったんだ」
父親の怒りを逃れるために、こずえは、
日頃から評判の悪い泥かぶらに
罪を着せていたのです。
怒り狂ったような庄屋は、
娘の言うことを信じて疑いません。
泥かぶらを見つけると、
容赦なく鞭で打って、
折檻(せっかん)をし始めました。
泥かぶらは、すべてを悟り、
黙ってその鞭を受けました。
「人の身になって思うこと」
という法師のあの言葉を思い出し、
「助けて」と頼んだこずえの願いを
聞き入れたのです。
何度も何度も鞭で叩かれ、
ひどい言葉を浴びせられながらも、
泥かぶらはこずえを助けるために、
最後まで耐え忍びました。
「もうやめよう。
お坊様がおっしゃった3つの言葉、
あんなことで私は良くなるとは思えない」
泥かぶらが全身ボロボロになって、
また丘の上の夕陽を見ながら泣いていた時でした。
後ろからそっとやってきた人がいます。
こずえでした。
「助けてくれてありがとう。
本当に悪い事をした。
これは私の宝物だから、
あんたに、もらってほしい」
そして、自分が一番大事にしていた
櫛(くし)を差し出したのです。
この時、泥かぶらは
自分が報いられたことを知りました。
生まれて初めての経験に、
泥かぶらは声をふるわせながら、
こずえに言います。
「その櫛はいらないから、
その心だけでいいから・・・
どうかこれからあたしと、仲良くして・・・」
こずえは泣きながらうなずきました。
そして、泥かぶらの頭の泥を払い、
櫛で髪の毛をすいてあげて
かたわらの花を挿してあげるのでした。
それからです。
泥かぶらの人生が好転していったのは・・・。
村人たちの泥かぶらへの評価が
どんどん良くなっていきます。
そうなればなおさら、
泥かぶらはお坊さんの3つの言葉を
さらに実践していきます。
喘息持ちの老人には
山奥に入って薬草を取って持ってきたり、
子供が泣いていたら慰めてやったり、
子守りをしてやったり、
人の嫌がることでもニコニコしながら
次から次にしていきます。
すると、心も穏やかになっていき、
あれほど醜かった表情が
消えてなくなっていきました。
村人のために労をいとわずに働く泥かぶらは、
次第に、村人にとって
かけがえのない存在になっていったのです。
ところが、そんなある日、
村に恐ろしい「人買い」がやってきました。
人買いは借金のかたに、
一人の娘を連れていこうとします。
泥かぶらと同じ年の親しい娘です。
「いやだ、いやだ」と
泣き叫ぶ娘の姿を見ていた泥かぶらは、
人買いの前に出て、
自分を身代わりにしてくれと頼みます。
こうして、売られていく泥かぶらと
人買いとの都への旅がはじまります。
そんな時でも泥かぶらは、
法師の3つの言葉を忘れませんでした。
・自分の顔を恥じない。
・どんな時にもにっこり笑う。
・常に相手の身になって考える。
ですから、旅の途中、
毎日毎日、何を見ても素晴らしい、
何を食べても美味しいと喜びます。
どんな人に会っても、
その人を楽しませようとします。
「売られて行くというのに、
おまえはどうしてそんなに
明るくしていられるのだ」
不思議がる人買いに、泥かぶらは、
自分の心にある美しく、楽しい思い出だけを、
心から楽しそうに話して聞かせるのでした。
そんな泥かぶらの姿に人買いは、
激しく心を揺さぶられます。
親に捨てられ、
家もない娘が不幸でなかったはずはない。
それなのに、誰に対しても恨みごとを言わず、
むしろ村人たちに感謝さえしている。
そして、この自分に対しても、
楽しい話ばかりして喜ばせようとしてくれている。
それに引きかえ、それに引きかえ・・・
ああ、自分のこれまでの生き様はなんだったのか・・・。
月の美しい夜でした。
人買いは、泥かぶらに
置き手紙を残してそっと姿を消します。
手紙にはこんな言葉が書かれていました。
「私はなんてひどい仕事をしていたのだろう。
お前のおかげで、
私の体の中にあった仏の心が目覚めた。
ありがとう。
仏のように美しい子よ」
泥かぶらはそのときはじめて、
法師が自分に示してくれた、
教えの意味を悟り、涙するのです。
・・・というお話。
わたしたちは、
自分の運命を変えることができるんですね。
自分の何かを変えることによって・・・
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「泥かぶら」への言葉
・自分を恥じない。
・人に笑顔で接する。
・人の立場になって考える。
演劇「泥かぶら」について
http://www.shinseisakuza.com/newpage104.html
作者、眞山美保さんの言葉
「人間は本来、美しく豊かに生きることを愛しているのです。
そしてまた、それを主張する権利をもっているのです。」
※メルマガ「心の糧・きっとよくなる!いい言葉」
07.1.7 Vol.274 より転載。