「今、ここに存在していることが最高の幸せ」
私が最近読んだ本の中に上記の言葉がよく出てくる。
確かに今の私は
体で痛いところもないし、
すごく心配な種もない。
夜寝る布団だってある。
確かに幸せだと思う。
が、そう思った時点ですでに
「今が最高の幸せ」という意味を
理解していないことがわかる。
なぜなら、
「痛いところもない」というのは、
痛くないのが良くて、痛いのが悪い。
「心配の種もない」というのは
ないのが良くて、あるのが悪い。
「布団がある」というのは
あるのが良くて、ないのが悪い。
つまり、そこには比較しているという
事実が存在しているのです。
「比較」して、今の状態を評価しているのです。
初めのステップなら、
これでもいいのです。
「今」の幸せに気づきもしなかった人が、
それに気づくことができたり、
前に比べて、今のほうが状態がいいことに気づいたら、
それだけで、だいぶ気持ちが明るくなるものです。
けれど、それだと「もっと」という気持ちが生まれ、
今に不満を感じたり、
前よりもひどいことが起こったら対処できません。
それが、「比較」して感じる幸せの
限界なのです。
「今がベスト」というほんとうの意味は、
「痛いところがあっても」
「心配の種があっても」
「布団がなくても」、
「今がベスト」と思えることです。
あらゆる状態のことを、あるがまま、
比較や否定せずに受け容れ、愉しむことです。
苦しみというのは、「比較」から生まれます。
だから、苦しみから解き放たれたかったら、
「比較」をしなくなればいいのですが…
これがなかなか難しい!
染みついた比較の価値観は
どこまでいっても顔をもたげてきます。
わが子についてはとくにこれは大切な事でしょう。
自分の子を他と比較してはいけません。
自分が苦しい思いをするだけでしょう。
存在している。
そのことが最も大切な事なのです。
存在しているだけですごいことなのです。