久しぶりに心学研究家:小林正観さんの本を読んだ。
小林さんがある市役所の保母さんから
相談をうけたときのお話。
そこの市長さんは公共事業に
お金を使うのは好きなのだが
福祉関係の予算は減らされ続けてるそうで
組合で市長に団体交渉をしてるが
一向に話しを聞いてくれないとのこと。
組合の役員をしているこの保母さんは
いつもジャージ姿でサンダル履きで過ごしている。
市長との団体交渉の際も
ほぼ全員がそのような格好で
交渉に臨んでいると言う。
そこで小林さんは次のように話した。
「相手の市長は男性ですよね?」
「男性です」
「保守系の党から出ているのですよね?」
「はい、そうです」
「もしかすると市長を25年やっていて
年齢が70歳ぐらいだと、
自分の権力に酔っているかもしれませんね。
一方、目の前に並んだ団交の人が20人くらいいて
その人たちはいつもジャージを着て、
裸足にサンダル履きで交渉しているのですね?」
「はい、そうです」
「たまにはワンピースを着て、
かかとのある靴を履いて、
少し化粧をしてみたらどうですか」
この話しをしたところ彼女は
3時間ぐらい抵抗したそうです。
「そんなばかな話しがありますか。
どうしてそんなことをしないと
いけないんですか!」と。
セクハラ的な意味で言ってるのではありません。
仮にも市長という人にお話をするときには
それなりに姿形も礼を尽くした方がいいと思うのです。
問題の解決方法には、
正論を言って相手を屈服させる方法と
もうひとつ、相手を味方にしてしまう
という方法があります。
「自分の市役所のなかに保母さんがたくさんいて
こんなにかわいく愛らしい人がいたの」
と思ったら、
この人たちの味方をしてあげたいと
思うかもしれません。
でも、怖い顔をしてザンバラ髪で、
ジャージを着て、裸足にサンダルを履いて
足を組んで、腕を組んで
「なに言ってるんだ!」
というような言い方をしてると、
たぶんこの”普通”の市長は
この人たちの味方をしてあげようとは
思わないでしょう。
誰がこんな人たちの味方をするかと思って
ますます削減しようとするでしょう。
人間が人間を説得するのは
正論ではないのです。
正論で人が動くのではありません。
好感度によって動くのです。