実は一月ほど前に、市が行なっている
50歳検診というものを受けていた。
まあ、簡単な人間ドックみたいなものだ。
で、その結果の説明会なるものが
昨日、市役所であったので行ってきた。
必ずなんかかんかは引っ掛かっているだろうと
ある程度予想はしていた。
案の定、腹部の超音波検査で
「膵石の疑いあり。要精検」
と書いてあった。
「膵石???」
胆石とか尿管結石とかはよく聞くが
膵石などという言葉は聞いたことがない。
説明によるとやはり膵臓に石ができる病気だとのこと。
家に帰って早速ネットで調べてみたらすぐに出てきた。
結論から言えばそう大した病気ではないらしいが
症状や進行具合によってはかなりの痛みを伴うようだ。
症状は鳩尾辺りや背中に痛みが出て
典型的な患者さんでは、
飲酒後や食事後の腹痛、
背部痛として現れると書いてある。
そう言われてみれば思い当たることもないではない。
その検査結果を聞いてから
何となく鳩尾の辺りが痛むような気がする。
「あの時の痛みはこれが原因だったのか」
そんなことも頭に浮かんでくる。
疑いがある…と言われただけでこうだ。
なんとも人間と言うものは
人から病気だと言われると
すぐに病気になれるもののようだ。
いや、言葉にはそれほど威力がある
ということも言える。
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考えてみれば、生まれてから今日まで、
いちばん身近にあって
私のわがままに付き合って
頑張ってくれたのは
この身体ではないか。
これまで文句も言わずに
頑張って働いてくれた身体を
自分はどれほど大切にしてきただろうか…
いや…
こき使うばかりで、
大切に扱ったという記憶がほとんどない。
傷みが出てきて当然なのだ。
もっとも大切にしなければいけない己の身体を
迂闊にも粗末に扱ってきたばかりか
手入れなどもまったく疎かにしてきた。
人は自分の身体にこそ
もっとも感謝しなければいけない。
体よ、今までほんとうにありがとう。
これからもよろしくお願いします。
ちょっと手遅れか…
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もしも、この身の内に心があるならば、
何よりも先に、身の内のことを
詳しく知らなければならないはずであるのに、
人々は身の外のことだけ良く知っていて、
身の内のことについては、
ほとんど何事も知ることができない。
(首楞厳経)
【坂村真民詩集】
《 業病ゆえに 》
わたしの一番身近にいて
わたしを一番助けてきたのは
わたしの五臓六腑である
そう気付いてから
わたしは毎暁
仏さまを拝んだあと
五臓六腑さま
この弱いわたしを
よくぞ今日まで
延命させてくれました
更に大願成就のため
御加護を切念しますと
祈願しだした
それからというもの
悩み苦しんできた業病にも
感謝するようになった
それはつまり
業病があるということは
わたしが生きているしるしなのだと
思うようになったからである
ああ業病ゆえに
わたしの祈りも強くなり
もろもろの加護が
はっきりと見えてくる