『招き猫のはじまり』
昔々、江戸の町にとても貧しい禅寺がありました。ひっそりと二~三
人の雲水だけが修行し、檀家のお布施によって辛うじてお寺の運営を
維持していました。
この寺の和尚さんは大の猫好きで、ただでさえ粗末な自分の食事を割
いて猫に与え可愛がっていました。
ある日、あまりに貧しいので和尚さんは猫に向かってグチを言いま
した。
「おい猫よ、もしお前が私に恩を感じるならば、何か果報をもたらし
てみよ」
でも猫は何も答えませんでした。
それから何か月か経ちました。
夏の日の午後でした。
門の周辺が騒がしいので何だろうと思って行ってみると、鷹狩りの帰
りとおぼしき数人の武士がそこにいました。
ひときわ風格のある立派な武士が和尚にむかって言いました。
「我ら、今、寺の前を通りすぎようとしたら、門前に一匹の猫がうず
くまり我らを見上げてしきりに手招きしておる。その様子があまりに
不審なのでここまで尋ね入った次第。しばらく休憩させよ」
和尚は一行を歓迎して、休憩所で渋茶などを振る舞いました。
すると、先ほどまでの晴天がうそのように曇りだし、たちまち激しい
夕立が降りはじめました。ついには雷鳴までもが加わってすぐにはや
みそうもありません。
手持ちぶさたは失礼と、和尚は三世因果(過去・現在・未来の因果関
係の法話)の説法をしました。それを聞いて武士は大いに感銘し、仏
教に帰依したいと申し出ました。それどころか、この寺の檀家になり
たいとも言ってくれました。
和尚はびっくりしました。念のため、武士の名前を伺うと、武士は
「我こそは、江州彦根の城主、井伊直孝なり」と名乗りました。
初代・井伊直政に次ぐ二代目彦根城主で、彼のずっとあとに安政の大
獄を取り仕切った大老・井伊直弼が生まれています。
井伊直孝は言いました。
「猫に招き入れられたおかげでこうして雨をしのぎ、貴僧の法談を聞
くことができた。これもひとえに仏の因果だろう。これを機に、いろ
いろ世話になりたい」
この時から井伊家の江戸における菩提寺はこの寺に決まりました。こ
の日以来、この寺は吉運が開き、やがて井伊家から莫大な寄進が寄せ
られ、一大伽藍を形成する立派なお寺になりました。
寺の名を「豪徳寺」といい、今の東京都世田谷区にあります。
猫はやがて死にました。しかし猫が吉運を招きいれたとしてこの寺
を人々は猫寺と呼ぶようになりました。また、和尚も猫のために墓を
建ててやりました。
さらに後生のためにこの猫の姿を再現した「招福猫」(招き猫)を作
り、家内安全・商売繁盛・心願成就を祈念するシンボルとしました。
※「招き猫」の由来については諸説あって、どれが定かなものなのか
分かりません。
※井伊家の菩提寺は彦根の「龍潭寺」と、東京の「豪徳寺」と言われ
ています。
★豪徳寺
http://www.kmine.sakura.ne.jp/tokyo/jinjyabukaku/goutokuji/goutokuji.htm