苦労には3種類あるといいます。
●過去苦労
過ぎたことや、今さらどうしようもないことを、
いつまでもクヨクヨと思い煩う苦労。
●現在苦労
今、目の前にある事柄を何でも苦にしてしまう苦労。
●未来苦労
まだこない先のことを、
あれやこれやと暗く悪い結果になる方向でばかり想像して
思い悩む苦労。いわゆる取り越し苦労。
これらの苦労は、人生の長い間に心の向け方が固定化してしまい、
現実の結果とは関係なく、マイナスの方向にばかり目と心を
向けることが習慣になっている人に多い。
苦労性の人がこれだ。
このように苦労する心にとらわれてしまうと、
現在の一瞬一瞬に楽しみを感じることはなくなってしまう。
いくら現実に楽しいことがあっても、
その楽しさに心を向けることなく、
すぐに暗いほうにばかり考えを進めてしまうからだ。
「まだ現実化していない苦労の先取りはやめよう!」
このことの大切さに中村天風が気づかされたのは、
ヨガの秘境での修行の際であった。
ある日、聖者カリアッパ師は天風を部屋に呼んで、
膝の上に座っていた犬の前足をナイフでサッと傷つけた。
次に聖者は「お前の手を出せ」と天風の手を取り、
いきなりナイフで右手首を切りつけた。
いきなりの所業に驚いた天風に聖者は悠々と言った。
「犬とおまえと、どちらが先に傷を治すか、やってみよ」
ヒマラヤの麓では、薬も包帯もない。
しかも天風は当時、結核という重い病気に冒されていた。
弱っている体に菌が入り、化膿すれば取り返しがつかない、
と天風は心配した。
傷をかばって1週間が過ぎた。
天風は聖者の部屋に呼ばれた。
「この間の傷を見せてみよ」
聖者は言った。
膝にはこの前と同じように犬が座っている。
天風の手首は赤く腫れ上がり、痛みは去らなかった。
「犬の傷はもう、跡形もなく治っているぞ。
おまえはどうして治らないのか」
「犬は獣だから治るのです」
と天風は答えた。
「人間と犬とでは、どちらが進歩した存在なのか」
「人間です」
「人間であるおまえが、傷の治癒ではなぜ犬に劣るのだ」
と聖者は天風を見据えて問いを発した。
傷を例にとって、天風の結核を治す秘訣を
教えようとしていた。
人間の自然治癒力は犬に劣るものではない。
にもかかわらず、犬はなぜ早くも治ってしまったのか。
天風の自然治癒力の働きが犬に劣っていたからだ。
自然治癒力が低下するのは、心が煩悩し、
消極化したときである。
天風は、絶えず傷をかばい、
化膿するかもしれないと心配して1週間を過ごした。
ここに原因があった。
天風は答えた。
「犬は傷の心配をしないから早く治ったのです」
これまで天風は、結核について思わぬ日はなかった。
熱や脈が気になり、
かたときも病が頭から離れることがなかった。
これが逆に病の治りを遅くしていたのだ。
自然治癒力の働きを低下させていたのだ。
では、なぜ病のことが頭から離れないのか。
毎日、心配しているうちに、
病を気にする心が固定化してしまったのである。
苦労性におちいっていたのである。
いったん負け癖がつくと、
心がマイナスの方向に固定化され、
暗いことばかりを考え、
楽しいことが考えられなくなる。
取り越し苦労はやめようというのが天風の結論だ。
天風は言う。
「取越苦労は、消極的観念から思考されるものである。
いつまで考えても、決して自分の安心するような
積極的方面に心を振り向けることはできない。
ただいたずらに、思えば思うほど、
その思考は独断的推理や、歪曲したものになり、
いよいよ迷い苦しむ結果を自らつくってしまうことになる。
心のエネルギーはどんどん消耗されていく。
結果、食欲不振になったり、睡眠不足になるなど、
マイナス状態におちいることが多い」
取り越し苦労とは、想像作用の悪用である。
苦労性から解放されたとき、
人は現実の楽しさに心を馴染ませることができる。
古歌にもあるように、
「さしあたる その事のみをただ思え
過去は及ばず 未来は知られず」
なのである。
※出典:池田 光著「中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない」より